多川響子 ピアノリサイタル

2022年01月15日

NAM Hall (京都・岡崎)にて開催

 ベートーヴェンのピアノソナタの演奏は生でも録音でも限りなく聴いてきたが、ピアニストによってその演奏解釈や奏法は本当に十人十色であり、演奏会に足を運ぶたびに、自身が心から満足のゆく演奏を聴ける機会が希少であることをあらためて思い知らされる。

 この多川響子というピアニストの演奏を数年前に初めて聴いた時、その希少な機会を得たという忘れられない満足感で満ち溢れた体験がきっかけで、このピアニストのベートーヴェンの演奏を聴き続けてきた。

 今回は彼女のピアノソナタの演奏を久々に聴いたが、久々だけにあらためて彼女の演奏スタイルの性格や特徴を冷静かつ客観的に理解することができた。

 まず気づいたのは、彼女が鍵盤を奏でるタッチの特性ないしは効果と思われる、音の響き方の特性である。ベートーヴェンのソナタの楽譜はどこもかしこも16分音符だらけで、演奏も速いテンポで細かい音譜の動きが果てしなく続くが、彼女の演奏ではその細かい音がけっして途切れることがなく、ハーモニーの響きが連続するように展開し、一つの大きなうねりの中で不思議と個々の16分音符のフレーズが浮きあがって耳に響いてくるのである。

 さらには彼女の演奏は短いフレーズごとに細かい解釈や変化をつけるスタイルの演奏ではなく、曲の流れそのものを止めないことを重視しつつ、どのソナタも実に息の長いフレージングで音楽を謳いあげようとしていることも目の当たりに実感した。音楽社会学者のアドルノは「全体こそが真理である」という哲学者ヘーゲルの言葉をベートーヴェンの音楽に適用しつつ、楽曲の個々の要素が有機的に連関し全体に向かって弁証法的に止揚している特性を強調するが、彼女の弾くベートーヴェンは、まさにそのことが完璧に具現化されたかのような演奏であった。いわば個々の細かい部分やフレーズを重ねつなぎ合わせる構成ではなく、つねに一楽章、いや楽曲全体を俯瞰しながら個々のパートの性格を位置づける、スケールの大きな設計図の上に成り立った演奏だったからである。

 さらに彼女のベートーヴェンの演奏では、どのソナタもテンポは大きな緩急の変化を繰り返すことはなく、曲想が大きく変化する箇所以外は、終始ほぼ規律正しいインテンポで演奏されていた。それがかえってベートーヴェンの意図した曲全体の構造や展開を明確に際立たせる効果をもたらしていた。

 今回のプログラムのうち、ソナタ第15番『田園』の演奏は、まさに以上の演奏上の特性が如実に反映された、終始瑞々しく美しい演奏であった。まさにピアニストの手から溢れるばかりの水が滔々と自然に流れだし、その勢いは最後までとめどなく朽ち果てることなく持続する。ソナタ第27番の演奏は、まさにシューベルトの音楽を彷彿とさせる、甘美なメロディーのメドレーのような無垢で穢れのない美しい演奏に仕上げられていた。

 演奏中、ピアニストはけっして策を弄しているわけでもなく、感情におぼれているわけでもない。自然な息の長いフレージングで音楽は進行する。最後に演奏されたピアノソナタ第32番の第2楽章はそれが駆動力になって前に向かって力強く進行し、トリルが延々と持続する緩徐部分の長いコーダを迎えて曲は精神的な頂点に到達した。

 ベートーヴェンのピアノソナタは、基本は楽譜に忠実で、以上のような演奏スタイルで演奏されるときに、作曲家が意図した音楽が最大限に伝えられる仕組みで書かれている。緩急の変化は最小限に、強弱の変化もsf やアクセントが際立つのみ。でもそれはけっして平坦で単調な演奏ではない。たえず音の泉の底から湧き出つづける果てしない重厚なボリューム感に支えられた、美しさと瑞々しさに満ち溢れた音楽。この次々ととめどなく湧きあがる16分音符の洪水に終始浸れる幸福感を、聴衆は最後までたっぷり堪能できたのである。

(以上 文責:今本 秀爾)

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